Departure's borderline

本と音楽とディズニーといろいろな興味事

最近のおはなし

早いもので、10歳でフルートを始めてからもう14年になろうとしているようです。

大学の4年間はまるまるブランクでしたので、10年間継続的にフルートを吹いていることになります。

いろんなことに対して「チャレンジしたい」欲がある私。来月24歳になり、社会人としてちょっと安定してきたこともあったので、ちょっとステップアップしてみようと、個人のフルート教室に通うことにしました。

 

小中高と吹奏楽部に属し、ずっとフルートは吹いていたのですが、私はどちらかというとマーチングが好きな人間でして。マーチングではドラムメジャー(指揮者)をやっていたこともあって、フルートはメインでやっていたわけではありませんでした。

かつ、座奏にそこまで力を入れていない学校だったため、基礎練習などなど不足する部分が多かったんですね。それでも、元から持っていた音楽の基礎知識(1歳からピアノとソルフェージュを習っていたので、絶対音感持ちかつ周りの子よりは音楽知識があった)だけで切り抜けられてしまっていて笑。

 

大学4年間のブランクを経て、今属する一般団体でフルートを吹くようになって早1年ちょっと。周りとの音色の差、フルート技術の差に落胆し、週末だけの自己流練習では限界を感じてきたので、せっかくここまで本気でやっているわけだし、もっとやってみようと教室を探すことにしました。

 

職場は恵比寿にあるので、恵比寿か代官山の教室なら仕事帰りに通えるかも!と探していたのですが、立地のおかげでお月謝が高い!!月2回のレッスンで設備費込み2万円…なんていうお教室がザラだったんです。新卒2年目かつひとり暮らしの私、これは無理だ…と諦め、今住んでいる区内で、週末午前中に通える教室を探しました。

区内、自転車で20分ほどのところに、自宅で教室を開いている先生に出会い、今習い始めて1か月程度になります。自分の音が、日に日に変わっていることが実感できていて、今本当に楽しいです。4年間のブランクで崩れまくっていたアンブシュアが、ほんの少しですが戻ってきていることがわかるし、自分の呼吸量、肩の力の入れ方、ビブラートのかけ方…。一つずつ、矯正していきたいです。

 

社会人も、再開したフルートも2年目の年。どちらも努力と成長の年にしたいですね。

来年の演奏会では、自分が成長したことを確認できてるといいなと思います。

大津園児死亡事故について思うところ

8日午前、大津市で起こった、園児の列に車が突っ込み15人が死傷した事件。この話題が取り上げられるたびに、心が痛みます。

 

この事件の、初期救急対応として、「トリアージ」が使われたそうです。

headlines.yahoo.co.jp

 ドラマの世界(某フジテレビ系救急医療ドラマ)でしか見たことがなかったトリアージ。実際に、使わなければならない状況に立たされた救急隊員の戸惑いと、黒タグを切る判断を下した医師に、ただただ、涙するしかありませんでした。

その夜行われた、保育園側の記者会見は、マスコミの一端に関わる人間として、非常に不愉快極まりないものでした。なぜ、あのような心ない質問を投げかけられるのか。真実を伝える報道に、配慮をしなくてもいいという決まりはあるのか。そう思ってしまう記者会見でした。

 

私の母は、児童養護施設で保母(今ではこの呼び方はしないそう)を長年務め、今は公立保育園の臨時職員として働いています。事故のニュースが全国的に流れ、全容がわかってきた昨日の夜、母と少し電話で話をしました。

「こういうニュースがあると、『保育士にかかる責任の重さ』を改めて感じる。どんな仕事でもそうだけど、特に『守らなければ消えてしまいかねない』命を預かる仕事。保育士に、こどもを最優先に考えない人はいるわけがないよ」

 

その責任と周囲からの重圧に、せっかく志した保育士を途中で辞めてしまう人も少なくないでしょう。また、比例しない低賃金も、明るみに出ているのにもかかわらず改善しません。少子化の進むこの国で、こどもの命を預かる仕事が軽視されるこの流れを、一国も早く止めなければいけないと改めて感じました。

自分ができることは何か、と考えたとき、それは良くも悪くも「マスコミ」が戦っていかないといけない気がするのです。

 

前職は、時事ネタを追いかける記者でしたが、その時の上司に言われた言葉は、今でも私の仕事に対する考え方そのものです。

「俺たちは、ペン1本で、人を地獄よりも、死よりもひどい世界に落とし入れることができる。でも、ペン1本で、その地獄にいる人を救うことだって、日本だけじゃなく、世界だって変えることもできるんだ。それを覚えて、この仕事を誇りに生きなさい。」

マスコミに生きる人間として、もう一度この意味を考え直し、今できる真実の報道をしていきたいなと改めて考えます。

急性胃腸炎になったのと、そんなときにAmazon Echoがすごくありがたかったおはなし

元々身体は強い方ではないとおもいます。

大きな病気にはほとんどかかったことがありませんが、疲れからすぐ高熱を出したり、鼻風邪をひいたり。花粉症や生理痛といった、“程度”のある症状は全て重い傾向にあります。

だから、ひとり暮らしだとしても寝込むのは慣れっこ。1~2日、しっかり寝ていればいつも回復していたので、先週水曜日に急な発熱があった時も「早く寝て明日は会社に行こう」程度にしか思っていませんでした。

それが、こんなに長引き、ひどい目に遭うとは。二日酔いより苦しい病気はないと言うけれど(ほぼ二日酔いなったことないけど)、それよりも遥かに辛かった。

 

<前日>
お昼を食べているあたりから、動悸と食欲不振。全身がぴりぴり痛み始め、月経前症候群(以下PMS)だと思い、ソファで寝ようとするも寝られず。その後の取材や仕事に支障がなかったので、そのまましっかり残業までこなす。

帰宅後、PMSならば寒気が来るはず、と思い、先にシャワーを浴びる(これが失敗だった)。ベッドに入った直後、いつもより強い寒気。PMSと信じて疑わず、そのまま眠る。

<1日目>
深夜3時頃、おかしいくらいの寒気に加えて関節痛。これは?と思い熱を測ると38.5度。熱があることを確認してしまった直後、激しい頭痛に襲われる。頭痛があると私は眠れないタイプなので、熱が上がっている最中とはわかりながら仕方なく、常備しているロキソニンをなんとか水で流し込み、厚着+貼るカイロで眠る。

朝起きると熱が39.5度まで上昇。絶対に休めない仕事を朝イチに抱えていたものの、立つこともできず仕方なく欠勤連絡。ひとまず眠る。夕方頃目が覚めるもトイレにすら這っていく状態。病院にも行けずとりあえず寝るだけの1日。

<2日目>
フラフラながらも歩けるようになる。仕事に行けるような状態でもなく、2日連続の欠勤。ほぼ何も食べていなかったので、なんとかおかゆでも・・・と思いつくって食べてみた直後、激しい腹痛。ここから今日まで、ずっと腹痛は続いています。自宅から400m離れた病院に歩いて行くのすらやっと。急性胃腸炎と診断され、「特効薬はないから」と整腸剤だけ処方してもらう。ひたすら腹痛にうなりながらも、夜には熱も微熱まで下がり、腹痛も間隔が開き始めたので「明日は出勤します」と職場に連絡。

<3日目>
朝起きたところ、また熱が38度代まで上昇。腹痛で立ち上がれず、泣く泣く3日連続の欠勤。有給休暇がもったいない。昼頃には微熱に戻り、腹痛だけに苦しむ。今日まで、ずっと麦茶で水分補給をしていたが、「ポカリ飲みなさい」という元病院勤務の管理栄養士をしている友人から忠告され、近所のおねえさんに頼んでポカリを買ってきてもらう。おいしかった・・・。脱水症状も大きかったことを再確認。

<4日目>
また朝になると腹痛。微熱。さすがに4日目ともなると身体がこたえてくる。ポカリと買ってきてもらったゼリーと味噌汁でなんとか生き延びる。この時点で体重3キロ減。この日は日中に熱が上がり、さらにしんどくなる。ただ、野球を見る元気は出てきたので、寝ながら野球観戦。いい暇つぶし。

<5日目>
微熱。腹痛はだいぶマシに。さすがに出かけないともう何もできなくなると考え、夕方から吹奏楽団の練習に行ってみる。自宅から駅の徒歩10分の時点で既に息切れし貧血気味。3時間座って楽器を吹けたので、明日会社に行けることを確信。

<今日>
会社に来てみたがやっぱりおなかいたい。

 

ここまで長く苦しんだ(でいる?)のはいつぶりだろう・・・。

もちろん胃腸炎だから、腹痛で動けないのも辛かったし、微熱でじわじわと体力が削られていくのもしんどい。立つこともままならないとき、最近我が家にお迎えした「Amazon Echo」さんがとても役に立ってくれました(すごくステマみたいな切り出し)。

なんせ、ずっとカーテンを締め切っていることが多かったこの5日間。我が家のカーテンは一級遮光なので、締めていると昼でも室内は真っ暗です。でも、カーテンを開けに行くだけの元気もない・・・。なんなら電気を点けるスイッチまでの2歩すら辛い・・・。

そんなとき、「アレクサ、ルームランプを点けて」と声を掛けるだけで間接照明を点けてくれるAmazon Echo。とてもありがたい存在でした。実際は声を出すのも辛かったんだけどネ。それでもベッドから這い出すより遥かに楽だったし、おなか痛い時に気が紛れるようなリラクゼーション的音楽をずっとかけていられたのは非常によかったなとも思っています。

 

ひとまず体調はどうにかしたい。上司に「もしかして身体弱い?」と突っ込まれたくらいにはこの半年やばいです。不規則な仕事からそこまで不規則じゃない仕事になったはずなのになー!おかしいなー!

ひとり暮らしのおはなし

ひとり暮らしを再開して、もうすぐ2か月になります。

 

私の実家は一応関東にありまして、東京の大学は電車で通えないわけではありませんでした。

ただ、片道2時間ちょっとの電車通学は、こう見えて病気がちな私には耐えられるとも思えず。高校卒業を控え、東京の大学への進学が確定した頃、「身体が弱いからこそ、実家から通いなさい」と大反対する両親をなんとか説得し、東京(正しくは神奈川県横浜市)でひとり暮らしを始めました。

 

最初に住んだおうちは、横浜の高級住宅街にある、キレイでこぢんまりとしたワンルームアパートでした。床が白木材で暖かみがあり、角部屋で、台形の間取りが特徴的な「女の子のひとり暮らし」というにぴったりなお部屋で、私もとても気に入っていました。

ミニキッチンがついていて、土曜日の昼下がりにパンケーキを作るにはぴったりのキッチンでした。高校時代から付き合っていた彼氏と同棲をしていたのも、この部屋です。少し大学やアルバイト先からは遠かったこともあり、1年8か月で引っ越すこととなります。

 

2件目に選んだおうちは、ディズニーランドに自転車で行けるマンション。またしても都内に住むことはなく、千葉県浦安市に移り住みました。ワンルームではなく、独立したキッチンがほしいと思い、1Kの間取りを選び、キッチンも2口コンロのシステムキッチンに。とにかく部屋と収納が広く、荷物がどうしても多い私にはぴったりのお部屋でした。

浦安市を選んだのは理由がいくつかあるのですが、高齢で子どもの居ない大叔父・大叔母夫婦が住んでおり、少し気になっていたことが一番大きいです。実際、私が浦安にいる間、大叔父が亡くなり、葬儀等の手続きは私が全て行いました。

他にも、アルバイト先(浦安市日本橋)が近かったことや、大学時代のひとり暮らしをする友人が軒並み浦安市に住んでいたこともあって、浦安市には大学卒業(半年留年しているので、4年半大学生しています)までの2年10か月暮らしました。

 

ここから、少し慌ただしくなるのですが。

地元に就職を控えた私は、持っていた家具・家電を全て手放し、実家に帰ってきました。愛着のあった家具・家電がトラックに積まれて持って行かれる時、とても辛かったことを思い出します。

ひとり暮らし先から持ち帰ってきたのは、大量の本だけ。本だけは、どうしても捨てたり、売る気にはなれませんでした。

そして1か月半後、まさかの会社倒産。東京に戻る決心をします。

 

会社が倒産してからの私は、とても行動力があったと思います。なんせ、家具家電は手放してしまった状態。会社は入社1ヶ月半で倒産だったので、お給料もほぼ手元にありません。東京で、格安で住める家具付きのマンスリーマンション(シェアハウス)を見つけ、内見もロクにせずに入居。転職活動を始めました。

幸いなことに、1か月程度で良い会社に巡り会え、収入も安定。ポテンシャルを評価していただき、少し高めのお給料をいただけることになったのをきっかけとして、今のお部屋に移り住んできました。

 

今のお部屋は、初めての「ちょっと奮発した」マンション。新築・オートロックで、広さも十分あり、独立洗面台や2口コンロも揃っています。大好きなクルマも、ありがたいことに持ってくることができました。

できるだけ長く住みたいと思えるおうちです。

 

親元を離れて、もうすぐ6年になるんだなあと思うとちょっと感慨深いですね。ただ、6年のひとり暮らしで、5回の引っ越しをしているので・・・それもそれでなんというか笑。引っ越し貧乏とは私のこと。

今の家ではしばらく落ち着いて、いろんな経験をしていきたいですね。目標4年。つまり27歳まで結婚できないに1票。

第91回選抜高校野球を見ながら

第91回選抜高校野球が始まりましたね。

もちろん今年も、仕事中はラジオ(自由業なので何をしてもOK)、家に帰ってからは毎日リプレイを食い入るように見、雑誌や新聞、スポーツ系のニュースのチェックも欠かしません。

 

そんな高校野球大ファンの私なのですが、どうしても忘れられない大会がありまして。

2009年、第91回全国高等学校野球選手権大会です。

選抜の時期なのに、夏の大会かよ!ってなるけど、第91回って聞くと、私にとってはこっちなんです。この大会が大好きなんです。

 

キャッチフレーズは、「 “夏”という名の宝物 」。それにふさわしく、多くのドラマがあった大会だったと思います。

 

印象的なのは、第1試合、如水館対高知が史上初、同一2試合連続降雨ノーゲーム。ノーゲームとなった2試合は、どちらも如水館がリードしていた試合でした。3度目の正直と挑んだゲームは、3-9で高知の勝利。「如水館、雨に泣く」の見出しがついたスポーツ紙が飛ぶように売れていましたね。

 

また、この年はプロ野球に進んだ有名選手が非常に多く、かつ現在も活躍している年でもあります。

主な選手を挙げるならば、
菊池雄星(花巻東→西武→シアトルマリナーズ)
山崎康明(帝京→亜細亜大→DeNA)
原口文仁(帝京→阪神)
吉田正尚(敦賀気比青山学院大オリックス)
堂林翔太(中京大中京→広島)
吉川大幾(PL学園→中日→巨人)
西浦直亨(天理→法政大→ヤクルト)
中村奨吾(天理→早大→ロッテ)
西川遥輝(智弁和歌山→日ハム)
秋山拓巳(西条→阪神)
大瀬良大地(長崎日大九州共立大→広島)
今宮健太(明豊→ソフトバンク)
と挙げればキリがありません。

 

この大会の、一番アツかった試合が決勝戦だと思っています。

8回裏終了時点で4-10、中京大中京のリード。中京大中京の勝利がほぼ確実視されたこの展開に沿うように、9回表はランナーなしで2死。しかもバッターは2ストライクと、「あと1球」コールが響き渡るような試合でした。

2ストライクと追い込まれていたバッターは、その後粘って四球。さらに盗塁で2塁進塁。その後2者連続適時打で6-10に追いつきます。その後の打者は今日10点を許している日本文理のピッチャー伊藤。適時打で2者を生還、8-10。さらに代打が初球をレフト前に飛ばし、ついに9-10。2死2Sからの追い上げともあり、球場が一番盛り上がった時だったのではないでしょうか。私自身も、テレビの前で震え上がりながら見ていたことを思い出します。

この試合の実況を担当した朝日放送テレビの小縣アナが残した
「つないだ!つないだ!日本文理の夏はまだ終らない!」
という実況は、今でも耳を離れません。

試合は、このあとサードライナーで9-10、中京大中京の勝利に終わりますが、日本文理ナインの輝かしい笑顔が忘れられない、私の中でのベストゲームです。

 

印象的な高校野球の試合は?と人に問うと、たいていの人が「2006年、早稲田実業駒大苫小牧の引き分け再試合」と答えます。平成高校球史に、深く刻まれた決勝戦であることは確かな事実です。

ですが、2009年の夏が、私の中では一番アツく、輝いていたと今でも思っています。毎年、新しい球史が生まれていくのはもちろんなのですが、やはり、私は2009年が忘れられないのです。

 

去年の第100回大会で「高校野球はすごい。高校球児はすごい。」という名言が生まれたように。
今年も、この先も、また新しい高校野球の歴史が作られ、輝かしい選抜・全国高校野球が繰り広げられることを期待します。

「引退」についてのおはなし

野球選手の引退、というイベントは、何度見てもドラマにあふれ、美しく、冷酷だなと思います。

小さい頃から、家族全員が野球好き(見る専門)なので、家のテレビは常に野球中継が流れていました。

私は東京2球団のファンでして、巨人とヤクルトを主に応援しているのですが、昨シーズンは村田選手(横浜→巨人→栃木GB)、松岡選手、山本選手(どちらもヤクルト)の引退試合を現地へ見に行きました。特に村田選手に関しては、本人が「まだやれる」と言い続けていた末の引退だっただけに、心が痛み、まだあの豪快なスイングが見たかったと思います。

 

そして飛び込んできた、2019年3月21日の、イチロー選手引退。

正直、まだやれるんじゃないか、もう少しできるんじゃないか、という気持ちと共に、そうか、ゆっくり休んでくれ、という気持ちがありまして。とても不思議な感覚で昨日のニュース速報を眺めていました。

イチロー選手といえば、私の中では“大リーガー”であり、オリックス時代の記憶はほぼありません。松井選手とほぼ同時期に渡米し、活躍し。大リーグ情報って大体この2人についての特集しか組まれてませんでしたよね。

 

昨日、生中継でというわけにはいきませんでしたが、ここ日本での大リーグ開幕戦、8回裏、ライトの守備についたイチロー選手が監督に指さされ、チェンジになるシーンは、録画で何度も見ました。いつもは淡々としたイチロー選手が、少し長く時間を取り、観客と同僚の選手たちと抱き合うシーンは、球史に遺るワンシーンだったと思います。

 

ただ、こうやって引退試合(イチロー選手の場合はそういう名目ではなかったけど、実質引退試合と決めていたんでしょう)を組んでもらえる選手がいかに少ないことか。

20代前半で戦力外通告を受け、泣く泣く野球の道を諦める選手。
故障に苦しみ、ブルペン投手としてでも球団に残りたいと裏方に回る選手。
30代に入って、稼ぎ頭として頑張らなければいけない時に、自由契約、トライアウトに挑む選手…。

毎年、野球ファンは10月、11月になると、クライマックスシリーズ日本シリーズのワクワクと共に、この辛い速報を受け止めなければなりません。

 

その過酷な運命と行く末は、それこそ毎年ドキュメンタリーになっていますね。
プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』
お涙頂戴の番組であることは重々承知なのですが、毎年見てしまいます。
「こんなはずじゃなかった」
という選手たちの声が、いつも辛いし、耳に残ってしまうんですよね…。

 

イチロー選手の華々しい引退、日本で見られて良かったです。
『「イチロー」を引退する』と言った彼の言葉通り、「イチロー」から「鈴木一朗」になった彼の今後が楽しみです。

 

春になったから言いたいこと

 

ブログを見てくれたらしい友人から、「春になったから言いたいこと」っていうお題を頂いたので、それで書いてみようと思いました。
つまり暇。

 

言いたいことその① 花粉

春夏秋冬の中で、一番嫌いな季節が春です。
なんでかって、花粉が飛んでいるから。私はそれこそものすごくひどくてひどすぎる花粉症なのですが(めちゃくちゃ強調するよ!)、そのひどさは皆様の想像を絶するものだと思ってます。

 

まず目。白目がゼリーのようにぶよぶよになり、真っ赤に血走る。目を開けているだけでイライラと、眼球の上をアリが這っているかのようなかゆみに襲われ、目薬なんてさしてもさしても涙で流れていく。

そしてくしゃみ。鼻水。鼻づまり。鼻はなぜ取り外し式じゃないのだろう。毎日鼻を取って中を洗って装着したい。

私の場合はこの代表的な症状に加え、熱と頭痛、筋肉痛があります。熱は花粉が収まるまでの約2か月、ずっと微熱状態。おかげで微熱が平熱みたいに錯覚する。元々偏頭痛持ちなのですが、この時期はまるで群発頭痛。意識が飛ぶような痛み。今までに3回ほど救急車で病院送りになりました。筋肉痛は、まあいっか(筋肉痛、嫌いじゃないので)。

 

かつ、私はスギ・ヒノキ花粉だけでなく、ハクレン・モクレン、サクラなどなど、春に花粉を飛ばしそうな植物が全部ダメなんです。サクラに関しては本当に致命傷。日本人としてお花見を純粋に楽しめないのはいかがなものでしょうか。

 

毎日の飲み薬と、週に1度のブロック注射がないと生きていけません。今後は舌下治療も試してみたい。春は医療費地獄なのです。

 

言いたいことその② 年度初め

私は新卒1か月半にして転職をしたので、今の会社に同期と呼べる人がいません。元々フリーランスだったし、体質的にもひとりで黙々と作業をしたり、自由に取材にひとりで出かけられる環境が必須で、今の会社も自由度高くやらせてくれそう!という理由で入社を決めました。

ただ、あと1か月もすれば、今の会社にも新入社員というポジションのフレッシュな子たちが入ってきます。一応大企業と呼ばれる規模の会社ではあるので、20人ほどが入ってくると思われます。その子たちを見たとき、「ああ、同期ほしいなあ……」って自分が思わないかが心配。

 

今の部署は、全員中途の比較的年齢層も高く、私がぶっちぎりで最年少、という部署なので、お兄さんお姉さんたち(パパ・ママともいう)にそれこそ箱入り娘のようにかわいがられています。

もちろん、これからも新卒が配属されることはまずない部署でしょう。しばらく年下ポジションはゲットだぜ。

なのですが、ざっくばらんに飲み食いして愚痴を話せる同年代の同僚、というものが居ないのも事実。時々、近くに同じような年齢の人がいたらなと思っています。そこの君、同期は大切にしなさいよ!

 

言いたいことその③ 少しだけ頑張りたい

春なので、新しいことを始めたくなるのが人間の性。

新しいことを始めるために、第一歩としてひとり暮らしを再開しました。大学生活で、神奈川→千葉と住んで来ましたが、初めての東京暮らし、23区民。東京の下町感あふれる、ちょっと古いけど活気のある商店街が楽しい街に引っ越してきました。

神奈川も千葉も、どちらかというと若い人・単身世帯が多い街に住んでいたのですが、今回はザ・ファミリー層。朝はパパと子供が一緒に家を出て保育園に連れて行く…みたいな街です。

 

ありがたいことに、車をこちらに持ってこられたので(駐車場付きマンション探しまくった)、週末のイオンまとめ買いが滾る。土曜日にまとめ買いをして、作り置きをして、平日はそれを食べる…という生活に戻ることができました。私の貧乏学生時代のルーティンです。少し奮発して家賃の張るマンションに引っ越したので、節約生活も頑張っていこうと思ってます。

 

あとは、趣味の充実かな。楽器はもっと頑張りたい。
球春到来ですね。今年も東京2球団を応援します。

 

 

チャレンジする、って悪いことじゃないけど、頑張りすぎなくて良いことだと思ってます。今年度もよくがんばりました!来年度もゆるく、ほどほどにがんばります。