Departure's borderline

本と音楽とディズニーと野球、その他いろいろな興味事

「あしたの家」の子供たちは明日の大人たちです。-有川浩『明日の子供たち』読了メモ

 

「おかあさんは、私よりも施設の子のほうが大事なんだ!」――。

これは幼き日の私が、児童養護施設で働く母に向けて放った言葉です。今思い返せば、なんてひどいことを母に言ってしまったのだろうと胸がぎゅっと苦しくなるのですが、当時の母はそう泣きじゃくる私を抱きしめ、「ごめんね、ごめんね」と繰り返していました。

 

 

『明日の子供たち』は、児童養護施設「あしたの家」を舞台に、新米職員と入所する子供たち、それを取り巻く社会の目線を優しく描き切った長編小説です。

 

初出は2014年8月、単行本。その後、2018年4月に文庫化されました。以前から、有川浩先生の作品だからとあらすじも見ずに購入していたのですが、2年ほど本棚に積まれ、ほこりをかぶっていました。

私こそが読まなくてはいけなかった。もっと早く読めばよかった。そう強く感じながら、読了メモを残しておこうと思います。

 

 

明日の子供たち (幻冬舎文庫)

明日の子供たち (幻冬舎文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2018/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

三田村慎平は転職先の児童養護施設で働き始めて早々、壁にぶつかる。生活態度も成績も良好、職員との関係もいい”問題のない子供”として知られる16歳の谷村奏子が、なぜか慎平にだけ心を固く閉ざしてしまったのだ。想いがつらなり響く時、昨日と違う明日がやってくる。先輩職員らに囲まれて成長する日々を優しい目線で描くドラマティック長篇。

文庫版裏表紙より

 

以下、だいぶネタバレあります。
また、児童養護施設の在り方について、過去のゆがんだ認識があります。
ご了承ください。

  1. 施設の子は「かわいそう」なのか
  2. 「毎日甘やかしてやれるの」?
  3. 「あしたの家」の子供たちは明日の大人たちです
  4. まとめ

 

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吠えろ、私のかつてのヒーロー。 -「27」を背に。埼玉西武ライオンズ内海哲也

 

 

2019年、8月。東京ドーム内売店ボールパークストア。

「さあどれがいい? おねえちゃんが買ってあげる」

「ほんとう!? おねえちゃんちに飾ってあるやつと同じのがいいなぁ」――

 

 

世間の小学校は夏休み。小学1年生になった従弟が、電車を乗り継ぎ東京の我が家に遊びに来た時のことだ。ひと回り以上も年の離れた、私にとってかわいくてしょうがない従弟。その初めてのひとり遠出だ、滞在する3日間、どこへでも連れて行くよと約束していた。

 

事前に電話で行きたいところを尋ねれば、東京ディズニーランドに連れて行ってほしいと、電話越しでもわかるほどのわくわくした声で答えてくれる。じゃあディズニーランドに行こうね、あとは? そう問うと、少し考えるような空白があってから「よく、おねえちゃんがばあばの家で見てる、野球がみてみたい!」と返ってくる。

 

夏休みの東京ドームかぁ……。たやすく予想できる超満員の東京ドームを想像し、苦笑しながらも「いいよ、いこうか」と相槌を打つ。電話の向こうで聞こえる、やったぁ! という高い声。かわいい従弟がよろこぶのなら、私もうれしい。

 

 

**

 

当日は、予想通りの超満員だった。水道橋駅で電車を降りた直後から、炎天下の中でも大きい!すごい! とぴょんぴょん飛び跳ねる従弟。「ちょっと!あんまり離れないでよ!」と、ついつい声を張り上げてしまう私。今思い返してもほほえましい、夏のワンシーンだ。

 

せっかく来たのだから、背番号入りのTシャツでも買ってやろうと思い、ボールパークストアを訪れる。キッズサイズ130くらいでよいだろうか、いや男の子は成長が早いから、少し大きめを買うべきか? サッカー派の従弟の家では野球をあまり見ないだろうし、選手の名前も知らないだろう。安パイで坂本か、調子のいい岡本でもいいかもしれない……。どれがいい? と声をかけると、予想もしなかった回答が返ってきた。

 

「おねえちゃんちに飾ってあるやつと同じのがいい! 26番!」

 

 

**

 

中学生のころ、少ないお小遣いを貯めて初めて買ったレプリカユニフォームが、26番、内海哲也のものだった。月数千円のお小遣いをやりくりし、1万円ほどするレプリカユニフォームを買うのは、中学生の私にとって至難の業。1年以上も「内海哲也貯金」をしてやっと手に入れた大切なユニフォームだ。

 

大きく振りかぶって投げおろされるキレのある球。キャッチャーの構えたところにボールが吸い込まれていくコントロールの良さ。テレビでよく見る、気取らない性格とその笑顔。かっこいいなぁ、と中学生ながら惚れ込んだ。内海哲也こそが私のヒーローだった。

 

苦労して手に入れたそのレプリカユニフォームは、そのあと長年にわたり私の現地観戦の相棒になる。内海が登板する日もしない日も、近年内海の成績が落ち込み、一軍に帯同していない日も。私は26番を背負い、読売ジャイアンツを応援していたのだ。

 

だから、2018年オフの、人的補償内海のニュースは見たくもなかった。なぜだ。あれほどまでにジャイアンツを愛し、ジャイアンツを選んでくれたピッチャーを、なぜ奪うのか。はたまた、なぜプロテクトに入っていなかったのか。なぜ、なぜ。いくら問うても人的補償の4文字は変わらない。

 

背番号26番のレプリカユニフォームは、私の部屋の隅に飾られた。高いチェストの上の、限られたスペースに折りたたまれて飾られたユニフォーム。私ですら、意識をしなければ目にも入らない場所に、ひっそりと。もう、このユニフォームに腕を通すことはないかもな。そう思った。

 

 

**

 

「今、26番はいないんだよ」

「そうなの? 引退しちゃったの?」

 

引退なんて言葉、よく知っているねと笑って流しながら、私は従弟に6番坂本のTシャツを買ってあげた。ほら、今のおねえちゃんのユニフォームと同じだよと、2019年シーズン開幕と同時に買った坂本のレプリカユニフォームを見せながら。

 

その日はいいゲームだった。打って岡本は23号ソロホームラン、先発山口は7回途中までを3点に抑え、10の三振を奪い、12勝目を挙げた。初めての現地観戦に、サッカー派の従弟も大よろこび。岡本のホームランが特に印象的だったようで、あの人はすごいとまるで昔から知っているかのように話していた。おかげで、私は試合後にもう一枚、25の番号が入ったTシャツを買ってあげる羽目になる。

 

そうか、25番はあっても、26番はもう売っていないんだな。

背番号順に並んだTシャツの棚。在庫も豊富にあるのだろう、高く積まれた25番の隣にあるはずの26番の棚はそこにはなく、代わりにその年から主の代わった27番が積まれていた。

 

 

**

 

私のかつてのヒーローは今、青い若獅子の吠える27番を背負い、所沢の西武第二球場でその日を待っている。「26より1つでも先にいくという気持ちで」選んだという背番号27。さみしさはあったが、彼らしさを感じられるそのコメントに絶望は見えなかった。

 

現在移籍後1年半、ようやく彼は一軍昇格をつかめそうだ。8月22日のオリックス戦で先発が濃厚なのだという。

 

だが、不安要素は残る。昨年11月には、商売道具である左腕にメスを入れた。もどかしさの中で、引退の二文字が頭をよぎることもあっただろう。彼自身も、今季を「勝負の年」と位置付け、「今年、上(一軍)で活躍できなければ……」というコメントを各スポーツ紙に残している。

 

負けるな、私のヒーロー。勝ち上がってきてくれ。もう一度、私の前でその輝くワインドアップを見せてくれ。

 

「今、26番はいないんだよ」

「そうなの? 引退しちゃったの?」

 

あの日、笑い流した従弟の問い。

 

「ううん。今は一歩先で、27番を背負って吠えてるよ」

 

そう答えられる未来を、私はずっと待っている。

(2272文字)

 

 

 

 

 


 

これはまだ、スタートに過ぎない。 - [Alexandros] 「THIS SUMMER FESTIVAL 2020」の現地で感じたこと

 

rockin'on 内「音楽文」にて掲載していただきました。

ongakubun.com

 

1枚15,000円のワンマンライブチケット。

今まで、その額は彼らに対して出したことがなかった。

でも、出してでも行きたいと思った。

 

2020年8月15日(土)、ZeppHanedaのこけら落とし2日目に開催された[Alexandros]のFC限定ライブ「THIS SUMMER FESTIVAL 2020 FC限定 CREWの為のリクエストパーティー」。キャパは約500名。いくらFC限定とはいえ、無理だろうと思いながらも、長年ドロスを追いかける友人とともに応募した。

 

当落発表メールを、何回見直したことだろう。夢じゃないだろうか、本当に当たってしまったのだろうか。

 

「当たった、かも。」

「当たってる、ね。」

 

スクリーンショットを添えて送った友人へのLINEは、彼女の返信とともに確信に変わった。行ける。ライブに行ける。しかも、いちばんだいすきな彼らのライブに!

 

ライブハウスに行く。この半年ほど、私たちが待ち焦がれていたことだ。生音を浴び、音楽を称えて手を掲げる。なんていい光景だろう。想像するだけで涙が出そうだ。私たちは二人で、当日はどんなセトリになるのか、はたまた半年ほど待ち望んだ景色はどんなものだろうかと、胸を高鳴らせてその日を待った。

 

 

**

 

「ごめん、行けなくなった」

 

彼女からのLINEが届いたのは、ライブ当日を3日後に控えた日のことだった。

彼女の職場で、コロナウイルス感染者が出たのだという。遠方に住む彼女は東京に来ることができなくなった。新幹線も、ホテルも手配した後のことだった。

 

私もキャンセルして、公式チケットリセールに出そうか。まだ間に合う。15,000円のチケットを彼女だけ潰してしまうのは気が引ける。そう考え、彼女に伝えると、こう返ってくる。

 

「行ってきてほしい。私の分以上に楽しんでくれなきゃ許さないよ」

 

そう告げた彼女はどれほど悔しかったことか。まだ襲い掛かるコロナウイルスという脅威に、半年ぶりだと泣いてよろこんだ私たちはまだ勝てないでいる。

 

 

**

 

ドロスのライブを一人で見に行くのは初めてだった。いつもは必ず、隣に彼女がいた。ファンになってもう何年が経つだろう。思い出せないほどに長い間、彼女はずっと隣で私とドロスを見てくれた。

 

現地に着くまでの道のりも、開演を待つ間も、このときめきを共有できる人がいないさみしさを噛み締める。一人ライブは慣れている。でも、ドロスを見るなら彼女と二人がいい。彼女が座るはずだった、2席隣の空席を何度も見つめた。

 

 

**

 

リクエストパーティーは最高だった。さすがはFC会員限定、「ライブで盛り上がる定番曲」などありやしない。ワタリドリも、Starrrrrrrもなかった。ただ、私たちファンが今聞きたい曲が詰まった、最高のセトリだった。リクエストアンケートを15位から1位まで順に演奏していくというセットリスト。1位は、[Alexandros]が[Alexandros]になる前の、[Champagne]最後の曲、「Plus Altra」。

 

==

But here we are standing

<<だけど僕たちはここに立っている

 

right in front of you, people

<<君、そしてみんなの目の前に

 

But we knew it from the start

<<だけど俺らはわかってる。まだスタートに過ぎないと

-「Plus Altra」

==

 

私の友人だけでなく、このライブに来たくても来られなかったすべてのファンに。はたまた、このスタートを見届ける証人となった私たちに刻み付けるように。強く語りかけてくれているような、1位「Plus Altra」だった。

 

 

**

 

まだしばらく、コロナウイルスとの闘いは続くだろう。それでも、キャパを減らしてでも、彼らのようないわゆるモンスターキャパシティバンドが有観客ライブを開いてくれた。音楽界にとって“最初の一歩”になったことは間違いない。

 

彼らはステージに立っている。

私、そしてみんなの目の前に。

だけど全員がわかってる。まだスタートに過ぎないと。

それでも全員が信じてる。そのスタートは、彼らが切ってくれたのだと。

 

ライブを終え、ZeppHanedaを後にした私は彼女にLINEを送った。

「最高だった。次は現地で。」

自粛してても金が飛ぶのはなぜなのか

 

先日、愛車を車検に出してきました。

今回は定期的に点検も出し、調子よく乗っていたので、最低金額で行けるだろうと皮算用をしていたのですが………。さすがにもう6年目ということもあり、ところどころ「交換必要ですね」があって思った以上の見積もりが出てきてしまいました。

自分の命を乗せているものだし、まだ車を買い替えられるだけの余裕もないので、涙を呑みながら現金払い……。

 

 

今月のクレジットカードの引き落とし額にもびっくり。

なんせ電車に乗りたくないもので、車で行けるところはとことん車移動を徹底しているのですが、ETCの引き落としとコインパーキング代、ガソリン代がいつもの数倍。かつ、今年はもともと住んでいた千葉県での仕事が増えていることもあって、首都高→湾岸線の乗り換えが高い高い。

 

 

吹奏楽の練習がお休みのうちにと、自分の楽器(フルート)を調整に出したら「そろそろオーバーホールしてくださいね」と強めの念押しが。

オーバーホールは、キイのパッドを全部取り換え、コルクやピンも取り替えて分解清掃を行ってもらう、6年ほどに1度の大工事。もちろんそれだけの大工事をするにはお金も相当かかってきまして、お見積り7.5万円。まじかーーーどこから捻出するよそれ。

 

 

さらにさらに、友人の結婚式の予定が2件。

すべてこのご時世の影響で延期になってはいますが、いずれ必要になるご祝儀……。25歳という年齢で、やっぱり結婚ラッシュ来たな…と思っています。

 

 

私の家計簿のうち、家賃の次にお金をかけている項目が「飲み代」なのですが、3~6月はそこがほぼゼロでした。おかげさまで音楽やゲーム、在宅勤務に必要な家具家電を一式そろえられたのですが、今となっては「それ使わずとっておけばよかった…」となっています。

飲み会は少しずつではありますが再開していますし、私自身外で飲むお酒が大好きなこともあって、野球場へ居酒屋へとちょいちょい顔を出しています(マスク着用、マスク外した状態でむやみにしゃべらない、トングと箸は分けるなど、対策はしっかりしています)。

つまり今、そこそこ飲み代は膨れ上がっておりまして。うーん以前とほぼ変わらんレベルかな。お酒はやめられない。

 

 

 

何がつらいかって、この騒動のおかげで私も例外なく仕事量が減ったということ。少しずつ回復はしていますが、いまだに騒動前の60%くらいのお仕事量で推移しています。

お仕事を増やすために、営業活動も必死に行っているわけですが、「仕事があればぜひお願いしたいのに」と言われてしまう有様。このご時世に新規は難しい、というのは百も承知…。もっとお仕事したいですね……。

 

 

 

マスクをつけるこの世界で生きていく -映画『聲の形』メモ

 

7月31日(金)の金曜ロードショーは、『聲の形』でした。

映画嫌いの私には珍しく、劇場で見たほどにとても大好きな映画で、漫画も全巻読み通しています。さすがの京アニ、クオリティの高い情景描写は圧巻です。

 

聲の形』が劇場公開されたときは、あえて字幕を、特別な友人とともに見に行きました。
私の右側に座った彼女は、高校時代の障害者福祉センターで出会った、ろうの友達。普段の会話は簡単な手話と、読唇術、筆談。

そして私も、ちょっとだけ聴覚にハンディキャップを持っているひとり。「この作品は字幕で」と、誘い合わせて見に行った作品でした。


映画『聲の形』 ロングPV

 

 

 

***

私の左耳はポンコツで、高い音と低い音が聞こえず、中間の音も右耳の半分程度しか聞こえていません。

 

きっかけは16歳のときの突発性難聴。しんしんと雪が積もる日の朝、起きたら左耳が全く聞こえなくなっていました。その日は大事なコンサートに出演する予定があったので、そのまま本番に。

2~3日経っても聴力は戻らず、母に連れられ耳鼻科を受診したところ、すぐに大きな麻酔科の病院へ回されました。

 

「聴力が完全に戻る可能性、戻っても障害が残る可能性、まったく戻らない可能性、すべてが3分の1の確率」

 

絶望しました。

音楽をプレイする側としてずっと続けてきた私にとって、絶対音感を付けた私の耳は宝物でした。雨の音や風の音、葉っぱのカサカサする音もすべて、音階と色で聞こえてくる、そんな特別な感性を与えてくれた耳でした。

 

 

***

次の日から、私の闘病生活が始まります。
毎日学校を遅刻または早退し、ステロイドの点滴とブロック注射、高圧酸素カプセルに入っての治療。一向に戻る気配のない聴力。裕福ではない我が家の家計に、私の高額な治療費という重荷を背負わせてしまっている罪悪感。

 

1年ほど治療を続け、一時期はほぼ全回復と言えるまで聴力は戻ったものの、その後ゆっくりと聴力が退化していき、現在の聴力までになりました。

 

 

なんとかして今までの生活を取り戻そうと、補聴器や集音器を試したこともありますが、私には合わなかったようで、現在は何もつけていません。

ですが、どうしても左側から話しかけられると、聞こえにくい場合があります。そのため、私は障碍者福祉センターに通い、人の唇を読む「読唇術」を学びました。今でも、聞こえにくいと思った場合は読唇術に頼っています。

 

 

 

***

つまり、このご時世、みんながマスクをしていると、結構困ったりします。口元が隠れていて、読唇術が使えないから何度も聞き返してしまったり。人に「耳悪いんじゃないの?」と言われた時、少しだけ、悲しい気持ちになりました。

 

聲の形』を一緒に見に行った友人と、つい先日Zoomで飲み会をしました。マスク無しで話せるというのは、とてもありがたいことだね、とお互い話し、さらに彼女は、「人の会話が全く見えない。取り残された気分」とまで話していました。

 

「片耳が聞こえる」「普通に話せる」私。

「まったく聞こえない」「話せない」彼女。

程度は違えど、見えないハンディが、私を、彼女を少しだけ苦しめているこのご時世。
少しでも、映画を通してこういった見えないハンディキャップの理解が進むとうれしいなと思います。

 

 

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)
 
映画『聲の形』Blu-ray 初回限定版

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  • 発売日: 2017/05/17
  • メディア: Blu-ray
 

 

私が二球団ファンになった元凶が帰ってきた -東京ヤクルトスワローズ#5 川端慎吾

 

 

何度も言っているけれど、私は二球団ファンである。

父からDNAとして引き継いだ巨人と、大学が神宮球場のすぐ近くにあるからという理由で好きになったヤクルト。

 

巨人ファンっていうモンは、だいたいが超ガンコ(うちの父)で、だいたいが亭主関白みたいなオヤジ(うちの父)で、だいたいが巨人が負けるとその日寝るまで不機嫌になるような奴ら(うちの父)である。

 

そんな父のDNAをまるまるっと受け継いだ私だが、ありがたいことに超ガンコには育たなかったし、巨人が負けてもあまり不機嫌にはならない。父の毎回の不機嫌に飽き飽きしていた母の教育がよかったのだろう。

 

***

 

表参道にある、吉田正尚の出身大学に進学し、居酒屋で飲むより球場で飲むビールのほうがコスパがよいと、感覚がマヒし始めた頃の話だ。

 

表参道から東京ドームに行くのは、結構めんどくさい。特に神保町の乗り換えがめんどくさい。対して大学から歩いて行ける神宮球場は屋外球場。雨に降られさえしなければ、ビールは美味いし夏は花火も拝めるし、なにより申し訳ないが、巨人にとってヤクルトは格好のカモだったのである(2017年対戦成績は巨17-8ヤ)。

 

 

というわけで、私は大学時代の現地観戦のほとんどを神宮球場で過ごした。

巨人戦ならばレフトスタンドで。そうでなければ内野の一番安い席で。
ライトスタンド? それは弱いヤクルトを応援する席であって、巨人ファンが座る席ではない。

……当時の私はだいぶひねくれていた。

 

 

就職活動に失敗し、さらにひねくれ、やさぐれた2018年。私はヤクルトの主催試合のほとんどを神宮球場で過ごした。シーズンシート買えよ、って自分でも思うレベルでヤクルトの試合を見ていた。

相変わらず巨人戦ならばレフトスタンドで、そうでなければ内野の一番安い席で。

 

内野の安い席に座り、ユニフォームも着ず、一人でビールをあおりながらもくもくとコンビニで調達したさけチーをつまむ若い女は物珍しかったのだろう、声をかけてきてくれる人もいた。顔見知りも増えた。だいたいヤクルトファンのおじさんたちだったが。

 

***

 

「ねぇ、明日の席買わない?」

内野席で、おなじみのおじさんに声をかけられたのが2018年7月20日(金)、中日との3連戦初日をヤクルトが勝利で飾った日のことである。

 

「えぇ、いやですよ、土曜日学校ないからこっちいないですもん」

「そんなこと言わずにさぁ…じゃあタダであげちゃう!」

 

タダという言葉につられてチケットをもらった私は、券面を見て卒倒する。

 

――外野席。

 

「外野じゃん!笑 私ヤクルトファンじゃないんですってば!」

あわてて突き返そうとする私を、おじさんはニヤニヤと意地悪な顔で制した。

「まぁまぁ、一回行ってきてよ。ヤクルトの応援歌、もう歌えるでしょ?」

 

 

***

 

次の日、しぶしぶ私は外野席に座っていた。

売り子たちが、「珍しいですね!」と私にビールを売りにくる。しょうがない、飲むしかない。背もたれがない椅子は、腰が痛いから嫌なんだ……。ぶつぶつと文句を言いながら、私は試合を見ることにした。

 

先発は石川。2回表、福田に2ランを打たれる。

あぁ、だからヤクルトは。2018年若干好調だとはいえ、負け試合を外野で見させられるのはタダ券だとしても嫌だ。応援もしないからな。外野だからって立って応援しなきゃいけない決まりはないからな。

 

その後追い上げを見せ、4-4の同点で迎えた9回表。福田、この日2本目のソロHR。

決定打だ……。負けた負けた。次におじさんに会ったらどんな顔をしよう。

 

 

9回裏、席を立とうと思った。今なら電車も空いている。

その時先頭の山田哲人が四球で出た。すぐさま盗塁。続くバレンティンは進塁打。一死三塁。この時点で私は帰るのをやめた。

 

畠山がライトへのタイムリー。山田生還で同点。

…なんだよ、面白い試合できるんじゃん。

 

 

そして、6番、川端。

自分でもびっくりしたのだが、私は川端のチャンテを歌っていた。初外野、初チャンテ。毎日神宮球場に通っていたかいがあった。歌える。

昨日も打っていた川端。もしかしたら、という気持ちもあった。

 

バットに夢を乗せ、慎吾はライトスタンドへサヨナラ2ランを打ち抜いて見せた。

 

 

***

 

この日を機に、私はスワローズファンと名乗るようになった。純粋に川端ファンといってもいいかもしれないけれど、川端をきっかけにどんどんスワローズの魅力にハマっていった。

 

あの日から、私の定位置は神宮球場のライトスタンド。おなじみの売り子たちも、もうすっかりライトスタンドで私を探すのが上手くなった。

 

 

 

そんな川端慎吾が、2020年7月7日、一軍に帰ってきた。

腰の不調と戦い、二軍で涙を呑んできた天才バッター。

 

 

復帰1打席目の成績はサードゴロ。それでも、そのスイングにはかつての天才っぷりがぎっしり詰まっていた。明るい未来を信じずにはいられない。

 

 

おかえり、慎吾。

もう一度、バットに夢を乗せ、ぶつかってぶっ壊して、前に進んでいこうぜ。

 

 

 

www.sankei.com

 

25歳になりました

 

昨年にひきつづきまして、当日にちゃんと更新できたー! 自分えらい!

1年のちょうど真ん中生まれこと私です。2020年ももう半分すぎてしまったんですね。早いこと早いこと。

 

 

24歳の1年も、自分としては納得できる前進ができた年だったかなと思います。

 

大きな一歩は、文春野球学校という新しいコミュニティーに足を踏み入れたこと。野球と文章という、わたしのだいすきな2つの要素をぎゅっと凝縮した、すてきな居場所です。

出会う人はみんなおもしろくて、あらゆる方向にぶっ飛んでるので飽きることもありません。たぶん私も、他の人からそういうふうに思われているのでしょう。

 

そして、今までは多くの人に出会うことこそが正しいという考えを改めて、今ある人と深く向き合うことの大切さを再認識できた1年でもありました。

もちろん昨今の情勢がありますから、人と出会うという、いままでなら至極簡単なことができなくなってしまったのも大きな要因だけれど、今私の周りで私を支えてくれる人がどれほど多いかを、やっと理解できたというか。

 

 

大学時代の友人たちはそれを一番感じたなぁ……。私は小中高時代の友人ってあまりいなくて、というか当時はいたけど今現在まで繋がりある人がほとんどいなくて。

だから、大学生から社会人というあたらしいステップに進んだにも関わらず、大学時代の友人がたくさん私と遊んでくれたり、気にかけたりしてくれるのはなんだかうれしくて、あたたかくて、ほんとうにありがとうというきもち。

 

昨日も、大学時代の友人が泊まりにきてくれ、一足先のバースデーを祝ってくれました。なんだか泣きそうになりました。

 

 

25歳。もう「若いから」が通用しない年齢になってきました。

30歳までに、と目標にしてきたことについても、タイムリミットが少しずつ見えてきて、比例してどんどん焦りが出てきている。だからこそ、先の目標ばかりではなくて、今いる自分の足元を見なきゃいけないなと感じています。

 

毎日、自分が今どこにいるのかを確認しながら、一歩一歩確実に進んでいける25歳にしたいです。